7. うわさと風評被害
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1. うわさとは何か
1-1. うわさの定義
災害や事件・事故などの発生によって、多くの人々の生命や財産が脅かされる危機的状況では、様々にうわさ(噂)が拡散し、状況がさらに悪化したり、二次的な被害が生じたりすることは古くから知られている 日常的には偽りのうわさという程度の意味で用いられている
敵対する相手を貶めるために、政治的な意図を持って流す虚偽の情報
知人や友人など個人に関するうわさ話
流言よりも一般的に用いられる「うわさ」という語を「流言」と同義のものとして用いることにする
1-2. うわさに関する古典的研究
最初の実験参加者が見た絵を口頭で伝えていく伝言ゲーム
この伝言内容が当初のものとは全く異なるものへと変容するさまを示すことで、うわさが信用に値しないものであることを腫脹
情報伝達のプロセス
情報が伝達されるに従って、細部の情報が徐々に省略され、説明が単純で平易なものになっていく現象
残された情報が誇張されていく現象
伝達者の先入観に沿う方向に情報が歪められる現象
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この絵を使った実験では、口論している2人のうち、白人の手にあるカミソリが情報伝達の過程で黒人の手に移ってしまうことがあり、黒人に対するステレオタイプ的な見方に同化したものだと考えられた
ただし、オルポートの報告を見る限り、このような事例は決して多くなく、ステレオタイプに基づいた同化がよく起こるという主張自体が、オルポートによる数の強調化だという指摘もある(川上, 1997) いずれにせよ、この研究で検討された「うわさ」は現実の噂の伝播とはかなり異なる
研究者によって提示された内容を、指定された相手に順に伝達していく中での情報の変容過程を検討するもの
現実のうわさは、伝えるべき情報が伝達者によって選ばれ、伝達相手を決めるのも伝達者本人
1-3. うわさの基本公式
$ \mathrm{R \sim i \times a}
うわさの流布量
いずれかの値が$ 0であればうわさにならないが、逆に重要さと曖昧さの両者が大きくなれば、うわさは爆発的に広がることになる
ただし、現在までの実証研究を振り返る限り、「曖昧さ」はうわさの流布量を規定する要因になるものの、「重要さ」に関してはそれを支持する研究は多くない
むしろ、他者に伝達されやすいうわさは「曖昧さ」と「不安」が大きく、不安を掻き立てる情報がうわさとして伝えられやすいようだ こうした状況は、情報の需要が高まる一方で、情報の供給量は著しく低下するために曖昧さが増し、うわさが拡大するのに必要な条件が揃ってしまうのだと考えられる
1-4. うわさの実例:豊川信用金庫取り付け騒ぎ
女子高生のおしゃべりが大規模な取り付け騒ぎにまで発展した事件
この事件が興味深いのは、うわさの発端となった出来事と、そこからの伝達経路がほぼ特定できているということ
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1, 2, 3: 女子高生
1が豊川信用金庫に内定していた
3が「信用金庫は危ない」と1に対して冗談を言った
横で聞いていた2が、すっかり真に受けて、家に帰って叔母4に話した
4は過去に民間金融業者の倒産に巻き込まれた経験があり、心配になって義姉5に事実の調査を依頼
5は数日後、豊川信用金庫の知人に連絡して事実無根であることを確かめ、妹に連絡したが、それより早く、行きつけの美容室6でそのうわさを口にした
5はまた一緒に海外旅行をした主婦のグループにもうわさを伝えたが、その主婦たちの1人のお夫が豊川信用金庫の関係者で、うわさをその場で一笑に付したので、このルートのうわさはそれ以上発展しなかった
6は、自宅に遊びに来ていた妹の7にうわさを伝え、7は翌日里帰りをしたとき、親の9に茶飲み話の中でうわさを伝えた
ちょうどそのとき、ある商店主8が御用聞きとして9の自宅に来ており、茶飲み話に加わった
8は帰って妻の10に伝えたが、そのときはどちらも半信半疑だった
10は翌日、幼稚園児の母親仲間にうわさを伝えたが、このときもまだ本気にしていたわけではなかった
5日後、10が留守番をしていると、知人が電話を借りに寄り、自宅に電話をしている様子であったが、その会話を聞くともなしに聞いていると、「豊川信用金庫から120万円引き出してくれ」という内容だった
この電話は、純粋に商用のものにすぎなかったが、夫のうわさを聞かされていた10は、やっぱりあのうわさは本当だったと早合点し、急いで出先の夫を呼び戻した
夫妻は相談の結果、日頃お世話になっている得意先にご恩返しをするのはこのときと、2人で手分けをして、17から27に至る人達に善意でうわさを伝えてまわった
うわさが爆発的な拡がりを見せたのは、これが契機
豊川信用金庫のうわさは、基本的に親族、馴染みの顧客、仲良しグループといった既存の人間関係を通じて拡散されている
決して無差別に伝達されるわけではないことがわかる
このうわさがそうであったように、事件、事故、災害時に拡がるうわさの多くは、善意に基づくもの なお、結果的に大規模な取り付け騒ぎが起こり、豊川信用金庫は倒産の危機に陥った
2. うわさに踊らされないために
2-1. 内在的チェックと外在的チェック
ディフォンツォ(DiFonzo, 2008)は人がうわさをする理由について、人間は「他者と関わりあって生きる社会的存在」であり、同時に「人間には世界を理解したいという根源的な欲求がある」ことを挙げている うわさとは人間が世界を協働で理解しようとする本質的な行為であり、そのための優れた方法だという
もし人間にとって本質的な行為なのだとすれば、うわさそのものを排除することは難しい
根拠のないうわさに踊らされないようにするためには
何よりもうわさが拡がらない環境を作る必要がある
特に災害時などは、人々が重要とみなすであろう情報について「曖昧さ」を低く保ち、人々の「不安」を緩和することが肝要
つまり適切な情報を迅速に提供すれば、根拠のないうわさが蔓延することはない
しかし災害発生直後は、政府、メデイア、専門家など、本来、率先して正確な情報を提供すべき機関や人々においても情報が錯綜し、混乱が生じてしまう
したがって、そのような状況で、我々がうわさに踊らされないためには、やはり一人一人が、こうした情報に対して批判能力(リテラシー)を持つことも必要だろう 1938年10月30日の夜、アメリカのCBSラジオが『宇宙戦争』というドラマを放送したところ、数百万もの人々が、ドラマの中の「火星からの侵入」のニュースを真に受け、パニックに陥った
こうした最中でも、すべての人がパニックに陥ったわけではなく、パニックに陥らなかった人もいた
事件後、手紙、インタビュー、新聞の切り抜きなどを通じて、数百人の人々の反応について情報を集めたキャントリル(Cantril, 1940)によると、パニックに陥らなかった人々は2つのタイプに分かれたという 「番組のなかに手がかりを見つけ出し、本当であるはずがないと考えた」人々
その内容が自分の知っているSF小説に似ていることに気がついたり、内容があまりに現実離れしていることからドラマだということを見抜いた人達
「ドラマであることをチェックすることに成功した」人々
他の情報と照らし合わせるなど、当該の情報以外で内容の真偽を確認した
うわさに簡単に踊らされないためには、受け取った情報に対して、2種類のチェックの少なくともいずれかができることが重要だと考えられる
ただし、この「火星からの侵入」事件は大げさに語られすぎており、現代では現実にパニックが起きていたとしても、かなり限られた範囲の人々においてだっただろうと考えられている 実際、災害時の人間行動についてこれまでに蓄積されてきた研究によれば、パニックが起きるのは極めて稀なケース
にもかかわらず、災害時には一般市民がパニックに陥るという"パニック神話"は信じられ続けており、為政者や知識人がパニックの発生を恐れるあまり、正確な情報を迅速に伝えようとせず、かえって状況を悪化させるという事態がたびたび起きている(廣井, 1988; 広瀬, 2004) 2-2. 信じられるうわさとは
そのうわさが、そのときに自分の感情や考え方に合致するからこそ信じるのだという
多少、曖昧な情報であったとしても、そのうわさを確証する証拠ばかりに注意が行き、反証する証拠は無視されたり、軽視されたりするという確証バイアスが生じる 情報源が専門家だったり、信用できる者であったりする場合には、そのうわさは信じられやすい
情報源が信頼できるものでなかったり、特に情報源が示されていなかったりしても、同じうわさを繰り返し聞くことで、うわさは信じられやすくなる
東日本大震災時は、うわさがSNSを通じて拡散したことにより、日頃からSNSを活発に利用していた人々は同じうわさをくり返し聞くことになった
チェックを怠った者は、次第にうわさを信じるようになったと考えられる
うわさは完全に信じられなくても、少しでも信じられていれば伝達される
特に災害時は"念のために"という善意に基づくうわさが拡がりやすいため、そのうわさが本当に信用に価するものなのかを明確に確認する必要がある
2-3. インターネット時代のうわさ
現代ではインターネットを通じてうわさが拡散するようになっている
かつてうわさは、口伝えを主な手段とした
「被災地等における安全・安心の確保対策」の1つとして、総務省が電気通信事業者に適切な対応を求めた
インターネットはうわさを収束することにも一役買っていると考えられる
東日本大震災の「コスモ石油」をめぐるうわさで、一時は多くの人を不安に陥れたものの、千葉市や当事者であるコスモ石油が公式にそれを否定すると、やはりインターネットを通じてうわさは一気に収束した
荻上, 2011は、どのような情報であっても、それをより多くの人に広めることを好む者を「うわさ屋」、それとは反対に、情報の真偽を自分で確認して正していく者を「検証屋」と呼んでいる インターネットはうわさ屋と検証屋の活動両方を容易にできる
しかるべきところが、信用に足る情報を迅速に提供することが、インターネット時代においてはこれまで以上に重要になってくる
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コスモ石油 + 雨で検索し、その内容を独自に分類、カウントしたもの(荻上, 2011) うわさが急激に沈静化していく様子がわかる
なお、うわさの拡散ということに限って言えば、最先端のメディアがうわさの拡散に利用されるのは、今に始まったことではない
豊川信用金庫の取り付け騒動は、電話や無線というメディアがうわさの拡散に主要な役割を担っている
FAXが普及した時代には、FAXを通じて"当たり屋"に関する間違った情報が出回ったこともあった
重要なのは、うわさはコミュニケーションの一形態であり、人は必要と感じれば利用しうるあらゆる手段を駆使して、うわさを伝達しようとするということ
3. 風評被害
東日本大震災では、福島第一原子力発電所の事故を受け、福島県やその周辺地域の農水産物・畜産物の価格の下落、買い控えといた現象が生じた
風評被害とは、近年になって頻繁に使用されるようになった言葉で、明確な定義があるわけではない
関谷, 2011「ある社会問題(事件・事故・環境汚染・災害・不況)が報道されることによって、本来「安全」とされるもの(食品・商品・土地・企業)を人々が危険視し、消費、刊行、取引をやめることによって引き起こされる経済的被害のこと」 風評被害として取り扱われた様々な事例に共通する要素
このように風評被害は、必ずしも人から人に連鎖的に伝達されるコミュニケーションによって生じるものではなく、何らかの事件・事故等に起因する報道が大きな役割を担うことから、厳密にはうわさとは区別して考えるべきもの
一方で、不安や"念のため"といった気持ちが、問題を拡大する点は、災害時のうわさと類似した側面を持っている
原子力発電所で事故が起き、それが報道されると、一部の消費者は不安に駆られ、"念の為に"事故周辺地域の食料品を敬遠するようになる
それ以上に問題なのは、流通業者や市場関係者が、消費者の心理を先読みして、自己周辺地域の食品は買われなくなるに違いない、クレームがくるかもしれないと懸念し、仕入れを控えること
この時点で当該の商品の生産者にはかなりの経済的被害が生じるが、こうした状況が報道として取り上げられ、さらには流通していない食品の中から基準値以上の放射性物質が検出されたといった報道がされたりすると、消費者や流通業者などは、ますます"もしかしたら"という気持ちになってしまう
多くの場合、この時点で政府関係者や科学者などの専門家などが事態の収拾に乗り出すことになるが、我々が信頼の基盤とするのは、その人物の専門性や能力だけではない(→15. 危機の心理学) たとえ専門家が「この食品は安全である」と説明してたとしても、その人物が何らかの理由で信頼できないとみなされると、疑心暗鬼はますます深まることになる 東日本大震災の際にも、多くの科学者が"御用学者"と呼ばれて発言が信用されなかった 関谷, 2011は、風評被害の対策としてもっとも効果的なのは「流通業者・関係者の過剰反応を抑えるための教育・啓蒙活動」であるとしている しかし、このような活動は風評被害が初期の段階では有効なものの、報道量が増え、人々の不安が高まるにつれ、その解決が難しくなることも認めている
したがって、福島産の食品の例で言えば、放射性物質に対する消費者の不安感情が除去されない以上、風評被害を根本的に解決することは難しいだろう
しかしその反面、感情は風評被害への影響として肯定的な側面も有しているようだ
工藤・中谷内, 2014による東日本大震災時の風評被害に関する調査によれば、放射性物質に対するネガティブな感情(不安)が購買意図を抑制する一方で、被災地を支援したいというポジティブな感情が購買意図を促進することが明らかにされている 風評被害を最小限に留めるには、啓蒙活動に加え、消費者のポジティブ感情にいかに訴えていくかを考えることが重要といえる